大嘗祭に思うこと
今日、11月8日は立冬ですね。11月は毎年「新嘗祭」というお祭りを国民の象徴である天皇陛下が行われ、五穀豊穣、国家安寧を祈られています。今年は、令和元年であり、新天皇の御代の初めの新嘗祭を、大嘗祭として行われます。令和の時代に、五穀豊穣、国家安寧、恒久平和が末永く続くようにお祈りされる大切な儀式ですね。
私は二十歳の頃に、御嶽山の山岳信仰をなさっていた神主、故 小西繁光先生に出会って、様々なことを教えていただきました。当時80歳を超えていらしたので、今生きていれば120歳以上になられますが、山でとても厳しい修行を積まれて、教正総監という高い位を得た方でしたが、とても気さくで、普通のおじいちゃんにしか見えない方でした。
戦時中に人々に頼まれてご祈祷をしていたら、御神殿のお鏡に従軍して行った人の姿が映ったことや、亡くなった人の姿を見たりして、「人は死んでお仕舞いではない。生まれ変わり死に変わりして魂を磨いている。この世は魂の学校だよ。だから素敵な人はお手本として、嫌な人は反面教師として、自分の目の前に来る人は、魂の修行に必要だから居るんだよ。」「人に心があるように、大自然にも心がある。太陽にも地球にも山にも海にも川にも、心が宿っている」それを神と呼び、日本人は神(太陽を含む星や地球、大自然、全て)の恵みに、意識を向けて、意を乗せて、「いのり」を献げて感謝して生きてきた。宗教とは、大自然の恵み、親の恩、人の縁、すべてお金で買えないものに、その見えない計り知れない価値を認めて、心から感謝することなんだよ。」と教えて下さいました。
小西先生は最後に「人を頼らず神を頼れ」と締めくくられました。自分で経験したから、神様は間違いなくいらっしゃる。生まれも死にもしない隠れ身の神様だから、自分を忘れるほどに世のため人のために生きるなら、祈るところに神風が吹く、奇蹟が起きる。明治陛下も和歌に詠われているように歴史が証明している。と教えてくださいました。
その歴史の中で、御成敗式目に「神は人の敬ひによつて威を増し、人は神の徳によつて運を添ふ。然れば則ち恒例の祭祀は陵夷(りようい=衰退)を致さず、如在(によざい=神を祭る) の礼奠(れいてん=供物)は怠慢せしむるなかれ。」とあります。日本の政府が、秋篠宮様の「私的な宮中祭費として質素にして、費用を抑えては?」との御発言を排して、公的・伝統的な皇位継承儀礼として、祭場を新設して御成敗式目の趣旨にのっとって大嘗祭が行われることで、日本国と日本国民に素晴らしい神威が現れ、益々に国運が栄えることを、国民の一人として喜ばしく思います。