神道の伝統を守る大切さ

 令和6年10月に日本の首相がかわりました。5つの「守る」を所信表明しましたが、最も大切な日本の「伝統を守る」はありませんでした。 
 日本には豊かな伝統と文化があり、約2700年間、126代続いてきた天皇家の皇室神道によって育まれてきました。1400年前に聖徳太子が定めた十七条の憲法によって、政治を行う役人の心構えが示され、「和をもって貴しとなす」という、争いをやめて話し合いで物事を決める大切さと、「篤く三宝を(仏:神仏の存在を信じて、法:神仏の不変法則を大切にし、僧:神仏の教えを正しく伝える者を見極めて)敬え」と、「聖の徳」の大切さを説きました。

 その精神を受け継いで、鎌倉時代に北条泰時が御成敗式目を制定しました。泰時は弟への手紙の中で「強い者が勝ち、弱い者が負けるような不公平をなくし、身分の上下に関係なく、公正な裁判を行うためにつくったのが御成敗式目である」と述べています。この第一条には、神社を修理し、祭を盛んに行い、人が神を敬うことで神の威徳が高まり、その神徳によって人の運が良くなるのだとあります。第二条には、寺塔を修造し仏事を勤行すべきことと、神仏を第一とする「聖」の大切さを述べました。

 さらに日本の気候風土が神道の伝統を育んだとも言えます。日本は四季折々の自然美に満ちた国です。裏を返せば、四季の気象変化が激しく、さらに台風、地震、津波、火山噴火などの自然の猛威が幾度となく繰り返され、何度もくじけそうになった歴史のある国です。だから、気力を失って落ち込んでいたら、日本では生きていけないのです。
 神道では「ハレ(非日常)」の状態を大切にし、「ケ(日常・気)ガレ(枯れ)」を祓って晴れやかに楽しく神を祭ることが、最も大切とされてきました。メンタル(理性)よりもスピリット(霊性、気力)さえあれば、つまり「ケ:気」が「ガレ:枯れ」ずに元気なら、どんな自然の猛威も、神の試練と受け取って、ポジティブに乗り超えていけるものだから、神道精神では「ケガレ」を最も忌み嫌い、「ケガレ」のない「ハレ」やかな生き方こそ、素晴らしいという価値観が生まれました。

 こうして全ての日本人は、神仏を最も大切な存在として、神棚や仏壇という「聖」を、生活の中の「俗」に取り入れて、聖俗を区別して共存するという日本の伝統文化と精神性を築いてきました。士農工商を問わず、あらゆる生業(なりわい)の場に神仏をまつり、毎日朝な夕なに、神棚や仏壇に水、米、塩、榊、お花、果物などを供えて、神仏や祖先に感謝して暮らしていました。また寺社仏閣の祭や寄進を絶やさず、常に神仏と共に生きてきました。こうして、どこまでも神と一緒に真善美を追求して極めたいと思う「道」の心が生まれ、茶道、華道、香道、剣道、柔道など、崇高な文化性を築いてきたのです。

 この高度な文化性があったから、中国で発祥した東洋医学が、日本に輸入されても、更にブラッシュアップされて、少量の生薬でも確実に効果をあげる方法が発見され、現代の漢方治療に生かされています。

 この神道精神をよりどころとして歴史を紡いできた、日本の伝統と文化は、第二次大戦後、国際法を無視したGHQの命令による「神道禁止令」によって壊され、日本の皇室や伝統のバックボーンである神道精神が学校で全く語られなくなり、唯物主義思想ばかりが教育され続けてきたために、日本人の心のよりどころが失われてしまいました。
 特に、平成時代になると、戦前に神道精神を学んだ人々が、社会の第一線から退き、戦後世代が中心の世の中になり、先進諸国で日本だけが、政治や経済、生活の場から宗教性が完全に否定されて唯物主義が広まるにつれて、日本人の伝統的な精神が失われるにつれて、経済成長が鈍化し、貧困が増え、自殺など様々な社会問題が増え、若い人の凶悪犯罪も増えてきました。

 人の心にはマインド(理性)とスピリット(感性、霊性)がありますが、心理分析によって可視化できるのはマインドのみなので、唯物主義の西洋医学では、マインドを治療対象としたメンタルクリニックだけで、可視化・分析できないスピリットを癒すスピリチャルクリニックは聞いたことがありません。
 しかし、陰陽太極思想をバックボーンとする東洋医学では、マインドを動かすスピリットを「気」として、治療対象にします。「気」そのものは数値化できないし、可視化できませんが、気の不調によって生じた気虚、気鬱、気逆という可視化できる症状から、可視化できない気の存在を認め、気の変調を推測して、気力や元気を高める治療を行うことができます。つまり漢方医学はスピリチャルクリニックでもあるので、「ケガレ」を忌み嫌い、お祓いやお祭りを大切にする神道精神に通じるものがあるのです。

 最近の日本の政治の世界でも、与野党を問わず、日本の伝統を壊そうとする提案ばかりが目立ちます。例えば、『夫婦別姓』は日本の伝統文化を破壊するものです。天皇家に『夫婦別姓』を導入したら、と考えてみてください。皇室を中心とした家制度があったからこそ、先祖を大切にまつり続けることができ、先祖から受け継いだ茶道や華道、能や歌舞伎などの家元達が伝統文化を大切に守ってこれたのです。『夫婦別姓』になれば、それが途絶えることになり、家元制度が崩壊し、日本の伝統文化を後世に伝えられなくなります。現代の情報化社会においては、婚姻後にも旧姓を通称として使用できる法的対応をとれば、全く問題なく、家元制度などの伝統を残し続けることができます。

 日本人は、明治時代になって、世界の情勢に合わせて様々に適応してきましたが、それは、神道という基本的な日本人の精神があったからです。神道は、教理、経論、教典、教祖がなく、人と社会が平和で幸せで豊かに、弥栄に栄え続けることを神に祈り、「ハレ(非日常)」と「ケ(日常)」を区別して共存させる文化、つまり聖と俗を区別して、どちらも生活や生業に生かし、共存させて暮らしてきた伝統と文化の歴史があったからこそ、世界中が驚愕するような明治時代の大発展があり、終戦後に20年でアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国になれたのだと思います。

 明治時代にアジアの小国の日本が、英国(イングランド)と日英同盟を結んだことにより、アイルランド移民の国であり、イングランドを嫌っていた米国は、日本を敵視するようになり、虎視眈々と日本に戦争をしかけて植民地化しようと狙っていたことが、戦後50年に公開された米国の公文書「オレンジ計画」によって明らかにされました。
 つまり、この公文書を詳しく読めば、明治時代から日本を植民地化しようとして計画を立て、ハワイ王国を併合し、スペイン戦争でフィリピンを植民地化し、日本を一方的に経済封鎖し、最終的に戦争をせざるおえない状況に日本を追い込み、国際法を無視して日本全土の民間人を空爆し、最終的に原子爆弾を二発も、軍事施設ではない、一般市民の暮らす町の中心街に落として、日本を占領した国なのです。

 米国は占領後も、明治から続く一貫したオレンジ計画によって、終戦直後の日本に対して、敗戦国の文化を尊重すべきとする国際法を完全に無視して、様々な要求を突きつけ、神道禁止令を始めとして、天皇家の存続も危ぶまれるような布石を行って、徹底した言論統制と、日本だけが悪いことをしたという戦後教育を広めたのです。 

 日本はいつになったら、日本の古き良き伝統を取り戻せるのでしょうか。西洋医学は、人体のあらゆる現象を可視化してとらえる医学ですが、漢方医学は、可視化できる部分と、可視化できない部分を、同等に重視する医学です。
 つまり漢方医学は、可視化できない物は存在しないと否定せずに、可視化できる部分と可視化できない部分がお互いにバランスして存在すると考えます。人の心は可視化できませんが実在しています。神仏も可視化できませんが、心と同じものであるなら、存在しないと否定することはできないはずです。
 日本には八百万の神が今も生きていて、私達の生活や産業、文化を支えてくださっています。喩えるならば、映画「ネバーエンディングストーリー」の「無」に襲われて瀕死の状態になったネバーランドを、可視化できない心の夢と希望で回復させたように、神の存在を信じることによって、昭和の戦後の大復興のような奇跡を、再び取り戻したいものです。

 日本の政治家や経済人達が、日本の神道の良き伝統に目覚めて、伝統を守りつつ発展させ、日本神道の精神である、聖と俗を区別して共存させて、真善美を極める「弥栄いやさか」の素晴らしさを、世界に発信し続けて、再び、日本が世界のトップに立って、世界平和を実現したいものだと願っています。